junshimura’s diary

適当なタイトルが思い浮かびませんがこれがjunshimuraだっていう

正しいノーマライズとは。

正しいノーマライズとは。
これを読んでの感想です。
http://benesse.jp/blog/20150914/p1.html

私学には義務化されていませんが、障害者差別解消法により、障害者であることを理由にサービスに差を付けない義務化が一条校に課せられます。
物理的な四肢の障害等はこれまで大分、改善されていますが、今回のは発達障害等も含まれます。事例では人前で発表出来ない生徒はビデオを用いる等の配慮をすることになっています。
頭脳労働を教授する場合の物理的な障害は、特に問題ないかも知れませんが、例えば、上記のようにプレゼンテーションが困難な人が、それを要求される職能を学ぶ学科、例えばゲームデザインを選ぶとどうなるか。ビデオでのプレゼンテーションでは、質疑応答も出来ませんから不完全です。そして、 そのスキルが社会に出た時に求められる事が明確であれば、修了の条件にもなり得ます。さらに、その後の社会人となったときに、ビデオでプレゼンテーションしか出来ない人を受容する企業がどれくらい在るのか。
考え方はいくつかあります。
先ず一つ目は、社会が受容する体勢になること。プレゼンテーションがビデオでも許されて、他の部分で補えれば採用される可能性はあります。
もう一つは、別の職能を探求することです。他の頭脳労働が可能なら、それを選ぶと良い。例えば四肢の障害者が敢えて酪農を営みたい、とは(機能補助が未発達の現時点では)考える人は少ないでしょう。
職業の選択肢を拡げるには色々、方策を考える必要がありますが、それぞれで重要なのは、障害を本人が自覚して自律できることです。若年性アルツハイマーを患う人は、それに気付けばメモを取りまくります、歩けない人が車イスを用いるように。
障害をきちんと明確化するのに必要なのは適切な診断ですが、その前に保護者の意識が必要です。日常生活に問題ない状態なら放置したい、顕在化して途方にくれるのを恐れています。それを解消するには、社会全体が正しく把握し、多様性を認めることが求められます。肌の色や性差も同じです。
精神障害を補う人工知能という観点も、これから考えられるでしょう。